2020-02-27 六波羅探題不在時の延慶の強訴 北方常盤時範、南方金沢貞顕、問注所執事太田時連 1307.09.11 常盤時範死去により北方不在、南方金沢貞顕 1308.02.23 東寺の訴えで約400年前の僧正益信へ本覚大師を贈号 1308.08.26 大覚寺統後宇多院政後二条帝崩御、持明院統伏見院政花園帝即位 1308.10.24 延暦寺の訴えで益信への贈号を取り下げ 1308.11.xx 北方大仏貞房、南方金沢貞顕 1308.12.xx 北方大仏貞房、南方不在 1309.02.29 東大寺、益信への再贈号を求めて武装して神輿を持って御所に突入し放置 1309.07.20 伏見上皇、東大寺の強訴を嫌い益信へ再贈号 1309.12.02 北方大仏貞房死去により探題両者不在 1309.12.05 延暦寺、探題不在の虚をつき武装の上で複数の神輿を洛中に入れて威圧。迎え撃つ東使の太田時連の配下、藤田行連が討死。 1310.06.25 金沢貞顕、北方として上洛 1310.10.25 東使長井貞広、安達時顕が上洛し、東寺に贈号辞退を勧める 1310.11.01 贈号辞退。延暦寺側の勝利に終わる 1312.xx 太田時連は群勢が矢で人々を傷つけたため神敵として流刑 1313.xx 太田時連、問注所執事に復帰 「本覚大師諡号事件にみる中世国家の意思決定(永井晋)」より